TICAD IVの第2日目、そして最終日のインターネット中継(外務省)をところどころ観ました。 (英国時間の夜中にあたり、ここ数日かなり夜更かししました)
印象に残ったのは、会議全体の緊張感のなさでした。
会議開始の時間になってもなかなか着席しない参加者。
見るに見かねてテーブルに置かれた空のコップをマイクの前で「コンコン」と鳴らし着席させようとする議長(森元首相)。
それなのに
「日本の新幹線は一秒も遅れることが許されません。」
「日本の新幹線のように分科会が順調に進んでおり、みなさんのご協力に感謝します」
という意味不明のコメント。
でも実際、開始の時間が遅れるのに、終わりの時間はそれほど遅れることがなかったのは、協議がアフリカの直面する困難な問題(現在進行形の紛争問題、貧困問題、水不足などの環境問題)に深く切り込まず、彼の言うように「順調に」会議が進んだからだろう。
発表者のほとんども、そういう主催者側の求める無難さをわきまえているように見えました。
会場に行かれた西サハラ研究室の高林敏之先生のレポートによると、初日の28日の午後にはアフリカ諸国代表団メンバーたちが、大勢近所のショッピングモールで買い物や写真撮影をしていたとのこと。すでに午後の会議が再開されている時間だというのに。
29日夜に会議場にいる別の関係者から聞いた話では、会議場内の人数が少なかったのは
「たぶん観光か買い物に行ってるのだろう」
と言われたそうです。
そして、実際目にした「ショッピングの風景」はそれを裏付ける光景だったのだろう、とおっしゃっていました。
アフリカ諸国政府もTICADという「日本のための」(ありていにいえば、G8で議長国としての体裁を整えるためと、安保理常任理事国入りの飽くなき野望のための)セレモニーにほとんど期待していないことが、うかがわれると指摘されていました。
一方、ボノやユッスー・ンドゥールの演説はよかったです。
何て言うのだろう、国際機関や各国首脳の見せかけの熱い演説ではなくて、静かに語っているけれど信念は絶対に譲らないぞ、というアフリカへの本物のコミットメントが伝わってきました。
コミットメントは、
「自分のエネルギー、精神を、対象に注ぎ込むような行為、気持ち、決意」
のことです。
僕たちの国 日本はこの会議を通して、一体、アフリカに何をコミットメントしようとしたのだろうか。
そして、世界でも最も脆弱で困難な課題を抱えるアフリカについて語る「アフリカ開発会議」のこの緊張感のなさを目の当たりにした自分は、何をコミットメントしようと再確認したのだろうか。


高林敏之(西サハラ問題研究室)です。 ブログを見つけて拝見しました。TICADに関する精力的なコメントに感服します。 このコラムにリンクされている上杉隆さんの記事はいいですね。中途半端な迎合的記事の多い大手メディアと違って、きちんと実際の空気を伝える内容です。 ただ、このような優れた記事ですら、「安保理改革」問題などでアフリカは中国になびいたかのようなコメントをしている点だけは、少々残念です。外務省ですら直視しようとしませんが、アフリカは国連改革に関して独自のコンセンサスを持っており(AUのホームページで実物を読むこともできます)、それを断固として貫いています(先のインド・アフリカフォーラムでも、「安保理改革」問題については両論併記にとどまりました)。中国の動きはアフリカ側の意思表示を容易にする副次的要因ではあっても、本質的要因ではありません。自らも常任理事国の野心があった当時の議長国ナイジェリアは日本になびこうとして臨時首脳会議まで招集しましたが、コンセンサスを重視する各国の支持を得られず、引っ込めざるを得なかったわけです。 詳しくは以下の拙稿をぜひご覧ください。 http://www.ide-jetro.jp/Japanese/Publish/Africa/pdf/2005_09_takabayashi.pdf アフリカにとって「日本には常任理事国入りの資格がある」などというリップサーヴィスなど簡単なことです。仮に本気でそう思っていたとしても、それはアフリカが考える国連改革の実現を前提として起こることでしかないのですから。また、「わが国としては日本を支持するが、AUや非同盟全体の立場には従わなければならない」と言えばすむ話です。たった数分の会談での口頭のあやふやなコメントで一喜一憂するようことがいかに愚かなことか、外務省もメディアもそろそろ気づくべきでしょう。 アフリカが主体的な国際的アクターとして動こうとしている現実を軽視し、諸外国の工作に揺れ動く客体としてのみ認識しようとする傾向が広く深く浸透していることこそ、日本のアフリカ外交を誤らせている最大の原因ではないかと感じます。